ヨルダンに行ってみたらこんな国だった
<専務の旅日記> どうぞご覧ください。
『ヨルダンに行ってみたらこんな国だった』
4年前、南アフリカW杯のアジア最終予選でウズベキスタンに行き
見事勝利、W杯出場を決めた試合を目の当たりにし、また今回も
アウェーの地ヨルダンで2014年W杯ブラジル大会に出場決定
するかもしれない大事な決戦になるのでヨルダン行きを決定した。
日本を出発して成田から約11時間半、ドバイ空港で乗継ぎ待ちで
約3時間半、ドバイからヨルダンアンマンまで3時間半。
トータル17時間から18時間かけてやっと到着。
飛行機で映画を4本も見たのでかなり寝不足。
でも、時間があったので市内観光に出かけた。
ローマ帝国は、
「こんな所まで来て、よくまあ、こんな立派な都市を造ったなあ」と
感心するばかり。
試合前、街の市場を散策していると、やたら声をかけられる。
もとは、外国に行くと ”中田” ”中田” であったが、
今は、”本田” ”本田”と言われる。
そして、皆、「4対0、3対0でヨルダンが勝つ」とやたら話しかけて来る。
いつの間にか、頭にグトゥラ(クーフィーヤ)を巻かれ買うはめに。
これが、なかなか涼しくて帽子より良い。
日本でも巻きたくなった。
”いよいよ出陣”
ホテルに戻り出陣しようとロビーにいたら、
オマーンのサッカー選手がいきなりホテルにドヤドヤと入って来て
一緒に写真を撮ったり「日本ガンバレ!!」とエールをもらった。
・・・・・(いい人達だった)・・・・・
”スタジアムに到着”
もうそこは、異様な雰囲気に包まれていた。
警官、軍隊、両方が出て警備をしている。
私達が乗っているバスに向かって、親指を下げる人、笑顔で手を振る人、
様々であるが、皆、4対0、3対0とかやっている。
だんだん、日本人サポーターのテンションも上がって来るが、
ヨルダンのサポーターの異様な熱気に圧倒される。
試合中なぜか、ヨルダン人サポーターが、隣にやってきて、
やたらと話しかけて来た。
「本田は、どうしたんだ?」
「10番は誰だ?」 「11番は、本当に日本人か?」
色々聞いてきた。
最後は、仲良くなって写真を撮り合って
「一緒にブラジルに行こう!!」と話したが、
「ヨルダンは無理だろう」と意外と謙虚だった。
試合が終わると、スタジアム周辺と街中は、もうカオス状態というか、
無法地帯。
警官、軍隊が、日本人の安全確保のため大勢出動していた。
翌日、せっかく来たので、死海まで足を運んだ。
首都アンマンは、1000mの高地にある街で、死海は海面より
418m低いところにあるそうだ。
ただ、案内標識には、古いデーターで390mとなっているが、
地球温暖化によって水面が下がり今では418mとなっている。
中学の頃、水泳部であったが、足が水面から出てしまい、
とても泳げない。
”ヨルダンはこんな所だった”
ヨルダンは、アラビア半島の付け根でイスラエル、シリア、イラクなどと
接して、世界で一番危険な場所と言うイメージが強い。
民族もパレスチナ難民が半数以上を占める国であるが、国民性は非常に
友好的で日本人に対して”Welcome Japan”と笑顔で迎えてくれる。
目と目が合うと必ず話しかけてくれる。
皆、タバコが好きでどこでもタバコを吸っている。
アルコールは宗教上飲まない人がほとんどなので、街中では
ほとんど手に入らず国際的なホテルでないと飲めない。
同じく豚肉は食べない。
まさか、自分がヨルダンに来るとは思わなかった。
サッカーがなかったらたぶん絶対来なかっただろう。
死海に入ることもなかったと考えるとサッカー日本代表に
感謝したい気持になる。
今回は、W杯出場を決められなかったが、
6月4日埼玉スタジアムで、是非決めてほしい。
負けて悔しいが、
楽しみがまた先に増えたので良しとしよう!!
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