家のあけ渡し2003年9月21日

打ち合わせ
ガス水道・電気はオンダさんが手続きしてくれるそうだ
私たちは、NTTに連絡して仮住まいで今と同じ番号を移してもらう。インターネットも利用できるようにした。ケーブルテレビには、一時休止の申請
郵便局で、転送申請用紙を記入して提出
トイレの汲み取りは、引越しの翌朝に来てもらう
家の中をどの程度片づければよいのか心配だったので、解体前に業者さんから家の中を見てもらうことにした
植木は、新しい建物にかかる部分は処分してもらい、残したいものにリボンを結んでおく

引越し2003年10月4日

引越し当日
前々日は仮住まいの掃除に行き、間取りを確認した
前の晩は最後の荷造りをしながらテンションがあがってしまい、なかなか寝つけなかった
引越し屋さんはプロの技を駆使して効率よく荷物を運んでいく
叔父も手伝いにきてくれて、父と夫も張り切っていた
おかげで日が高いうちにすっかり片付いた
この日の夜は外食ですませ、国民健康センターの大きなお風呂に入りに行った。
どっと疲れが出た

取り壊し2003年10月6日

取り壊しが始まった
木槌で土壁をがんがん叩き壊すとか、べりべり剥がした天井から30年分の埃がどばっと落ちるとかいうことはなく、エアコンを外したり、サッシをはずしたりして初日は地味だった
2日目からは重機が入り屋根もショベルで剥がして、たたんで、集めて、捨てる
すごい技である
ゴミの分別は大変な作業だ

「晴れてよかったですね」と解体屋さんに声をかけたところ「解体は雨の方がいいんです、埃が舞わないから」との返事
そしてホースで水を撒きながら作業を行なっていた
母はほとんど見に行かなかったが、私は引越しの片付けの合間に毎日見に行き、その様子を写真とビデオに残した
全部で5日間かかって更地になった

地鎮祭2003年10月13日

ものすごいどしゃ降りだった
朝オンダさんから「長靴で来てください」と電話をもらい、鯛などのお供えものを持って出かけた
『雨降って地固まる』とは、地鎮祭の日にそのままであるが、それどころの降りではなく、オンダさんたちは、ぐっちょぐっちょの中、朝からテントを張って会場づくりをしてくれ、神主さんも泥だらけにしてしまった
大変申し訳ない
オンダさんの進行で地鎮祭は30分ほどで終わった

地鎮祭や上棟式は必ずしなければいけないものではないらしいが、オンダさんからの申し出を断る理由は特になかったので、行なうことにした
無事に家が建つようにと願いはひとつである
とはいっても何をするのか全くわからずオンダさんに祭壇に供えるものを教えてもらい前日に買い揃えた
スーパーで揃うところがなんとなく可笑しい
お供えの鯛があとで口に入ると思っていたのは私だけだったようだ
神主さんがお持ち帰りになった

R型の提案

地鎮祭のあと、外壁と床材の打合わせのためにオンダ事務所に出かけていった
そこで思いがけない話、屋根の形を変更するという当初の設計では片流れの屋根が3方向になっていたが、 その一箇所だけ北側斜線の制約にほんの少しひっかかってしまったそうで、 全体に天井高を下げずにその部分だけR型に屋根を切り取ってしまうというのだ
直線的な外観のイメージが固まっていたためこれはかなりショックな話だった
しかし、この方法しかないようである

さて外壁と床材だが、設計図の段階でオンダさんが色や素材を選んでくれていたので外壁はその通りに決めた
しかし床材は、白っぽいもの一種類にしようと思っていたところにオンダさんが、新製品のチョコレート色の床サンプルを持ってきた
白っぽいのと2種類つかってはどうかと言う。色はいい、新製品という言葉にも弱い
しかし急な提案に仕上がりのイメージができない。何より濃い色は埃が目立つ
迷いに迷った。もう発注する時期である
「この色を決めるまでは帰しませんよ」とオンダさんの目が訴えていた

何でもかんでも分厚いサンプル集の中を渡される、と人から話を聞いていた
それを思えば簡単な選択肢なのだが、決めるのに大変苦労した
私たちの好みを分かってくれて、さらに膨らませておいてくれたオンダさんに感謝